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全国唯一寺のない村の物語

 

池明治3年、村に「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」の嵐が吹き荒れました。
仏教をやめて神道に帰依することを強制的に奨めたものです。
村にあった2つのお寺も各家の仏壇も、あちこちの野仏も石碑も仏教に関係のあるすべてのものが取り払われ、壊され、運び去られ、神道への改宗が強要されました。
このような動きは、明治初年の復古国学の影響で全国的なものではありましたが、特に東濃地方を領した苗木藩は徹底的に断行し東白川村では後世に仏教が復活する芽さえ摘み取られたためか、この時以来、全国でも珍しい寺のない村、仏教を知らない神道の村となって今日に至っています。


四つ割碑 (よつわりひ)

 

樹木廃仏毀釈がいかに厳しかったかを示す史跡が、現在役場前に立つ四つ割の南無阿弥陀仏碑です。
この石碑は、神土村常楽寺の山門脇にあったもので、一文字ごとに米一升が入るといわれ、住民からは“ごいっしょうさま”と崇められたものでした。
廃仏の断行により、取り壊しには、この石碑を造った信州高遠村の石工の伝蔵が呼び寄せられましたが、後日を期してこの碑を砕かず、縦四つに割りった話は今でも村に語り継がれています。

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